犬好きさんに捧ぐ? ロンドン編大英図書館

2006年01月20日

最後に過ごした日

帰国から1週間めにして、どーっと疲れが。
……これが、若さか。
筋肉痛など、年をとると2日め3日めに来るとはよく聞く話。
私は身体のあらゆる筋肉が悲鳴をあげるまで、なんと1週間ももった。
みなぎる若さの証以外の何ものでもない。
(いや、冷静に考えれば、若ければ若いほどすぐに疲れが出て、
早いうちに体力を取り戻せるしくみなわけで、
それが1週間かかったってことは、つまり……まあいい)

ではリフレッシュしたところで、
ロンドンでの、
イギリスでの、最後の1日について。

ヒースローに向かった日こそが「最後の日」になるのかもしれないけど、24時間まるごとイギリスの空気を吸っていたのは、この1月9日まで。

何をしようかな、と考えてみた。
いろいろとやりたいことがあるようで、でも何もしたくないような、しなくていいような気もして、どきどきした。
とりあえず、夕方5時から聖ポール大聖堂でネルソン提督の追悼礼拝には行こうと決めた。
それまでの時間は、ただ、流れにまかせることにした。



9月のおわりからロンドンに住むようになって、私がいちばん多く出かけた場所はオックスフォード・ストリートだと思う。
ロンドンで買い物をするならここ、というぐらいお店がたくさん並んでいる。
でもこの日は、ここに行こうという考えは、そういえば全然おきなかった。

フラットを出て、私が乗ったバスは、トラファルガー・スクゥエア行き。
オックスフォード・ストリートとは逆方面になる。

途中のストランドで降りて、コヴェント・ガーデンに向かった。
ロイヤル・オペラ・ハウスのあるところ。
コヴェント・ガーデンは100年前は青果市場だったところだ。
あの「マイ・フェア・レディ」のヒロイン、イライザ(映画版だとオードリー・ヘプバーンがやっている役)も、ここで花を売っていた。
その縁かどうかはわからないけれど、ロンドンで「マイ・フェア・レディ」を観るとしたら、オペラ・ハウスから徒歩5分のドゥルーリー・レーン劇場に行くことになる。
残念ながら最近は「マイ・フェア・レディ」は地方巡業に出ていて、ロンドンでは鑑賞できない。
それはともかくとして、「マイ・フェア・レディ」といえば、「ひどい英語(コックニー)をしゃべる女の子を、老練な教授が導いていく」話。
イライザが花を仕入れていたコヴェント・ガーデンは、今ではアップル・マーケットというショッピングアーケードになっている。
アーケードといっても完全に吹き抜けなので、けっこう寒い。
ここの中央にあるカフェで食事をすると、食べ終わったそばからハトが舞いこんできてテーブルの上の残飯をあさり、店員とバトルになる。
そのときの店員の言葉や、まだとなりのテーブルにいる人々の笑い声なんかは、ヒギンズ教授が聞いたら眉をひそめる類のものなのだろう。
かくいう私など、ヒギンズ教授からしたら指導の対象外のはず。
「Why can't English learn their own language?」
が教授の口グセ。だから日本人の私は見逃してもらわないと、お互いに困る。
平日の午前中ということもあって、マーケットはずいぶんすいている。
いくつかアンティークの露店も出ていた。
銀の小物入れやスプーンのにぶい光が、言葉といっしょに吐き出される息で、ぼんやりとかすむ。
それを横目に見ながら、お気に入りのお店クラブツリー&イヴリンへ。
さすがにもう何かを買う気はなかったけれど……店員さんと話しこむこと、約30分。
いずれ香水ブログに書くつもりだが、ちょうどこの日、スキンケアの新製品が出たばかりだとか。
いいタイミングだなぁ。
というか、公式サイトでチェックしてはいたんだけどね、そのこと……でもまさかその日が発売とは、知らなかった。いや本当に。
で、その製品のための専任アドバイザーさんが、
「あなたが私の第1号よ!」
と、特別に気合いを入れていろいろ説明してくれたというわけだ。
もしかしたらそれは、ただのリップサービスかもしれない。
でも、私はこういう偶然が、大好き。
さらに地下に行くと、いつもそこにいる店員さんに、
「あれ? 何度か来てるよね?」
と、顔をおぼえられてしまっていた。
ここでもセールだから、と、たくさん商品を紹介してくれたのだけれど、
「実は明日帰国で……。
 これ以上、もうスーツケースにものを入れる余裕がないんです」
と、すでに手にした2つの商品をかかげて苦笑すると、
「それは残念です。
 買ってもらえないこともだけれど、
 もうこのお店に来てもらえないことがね」
嬉しいことを言ってくれるじゃないですか、おねえさん……。
「でも、戻ってきますよ。また、そんな先のことじゃなくて」
「本当に? 日本人? 遠いよね。
 でもイギリスまで来たら、クラブツリーまでは一息だからね!
 日本まで、気をつけて帰ってね。
 そしてまた帰ってくるときも、気をつけてきてね」
イライザは立派なレディに変身した後、ヒギンズ教授に怒ったっけ。
それに美辞麗句を並べたてる求婚者にも、イライラしていた。
word, word……言葉はたくさん。
Show me!
言ってほしいことは、ひとつだけ。しかもそんなに難しいことじゃない。
文章をつくりあげる余裕があったら、ちょっとは伝える努力をしてみよ!
という意味だと思う。
私は、言葉が好き。
基本的に、人間が好きだからだろう。
結局、英語はぜんぜん上達しなかった。
でも理解できないなりに、いろんなことを伝えようとしたり受けとろうとした。
そのことによって、何であれたくさんの人と関わりをもてたことを、感謝している。

マーケットを出てから、すぐお向かいの聖ポール教会に入った。
コヴェント・ガーデンはお昼ごろから、あちこちでたくさんのストリートミュージシャンや大道芸を見ることができる。
聖ポール教会の前は、たいていジャグラーやスタンダップマジシャンの独壇場になっている。
でもこの時間帯は、まだひっそり。
そこで、はじめてこの教会に入ってみた。
前から地味なつくりだよなぁ、と思っていたけれど、本当に簡素だった。
必要最低限のものしかない感じだ。
教会内のオルガンのところに、師弟の姿があった。
ちょうど練習中。でも、どうやら賛美歌の類ではないらしい。
コヴェント・ガーデンという土地柄で、どんなジャンルでも美をたたえることは、神をたたえることにつながるのかもしれない。
聖ポール教会には小さな庭があって、ベンチではちょっと早めのランチをとっている人もいた。
とても寒い日だったのに、もしかしてここが彼のお気に入りのラウンジなのかもしれない。
しめった緑の芝生のすきまからは、オレンジ色のバラ。
そしてその奥に、桜が咲いていた。
ときどきイギリスで見る、冬の桜。
あまりにもひっそりとしていて、そばに寄りづらかった。
思いきって近寄ってみた。
ぽつりと、夕暮れに星がともるように咲いていた。
たぶん、これがこの桜の満開なのだろう。そんな気がした。

教会を出て、ロイヤル・オペラ・ハウスの売店へ。
ここへはチケットがなくても入れる。
インフォメーションセンターに行くと、3月に「ロミオとジュリエット」を上演するらしい。
今ごろ、もう、レッスン場はヴェローナの空気になっているんじゃないだろうか。

コヴェント・ガーデンから歩いて、トラファルガー・スクゥエアに。
せっかくネルソン提督の追悼の日なのだし、と、あらためて広場をながめる。

nerson.jpg


なぜか、ここに来るときは、いつもくもり。
それでも遠くにかすむようにして、ビック・ベンが見える。
ナショナル・ギャラリーを背にして、歴史より、文化より、生活を感じる場所。

trafalgar.jpg


噴水のそばは、この時期は、さすような寒さ。
でも水辺って、なぜこんなに落ち着くんだろう。

踵を返して、もう何度も来たナショナル・ギャラリーへ。

nationalgallery.jpg


どうしても最後にもう一度だけ観たかった絵、サッソフェラートの「祈りの聖母」。
何度も展示場所を引っ越しているので、今回も何人かの職員さんに聞いたあと、インフォメーションデスクに行くことにした。
すると、現在は地下の特別展示室にあるとのこと。
なぜ、また地下に? と思いつつ、ついでなのでもう1つ見たかった絵の場所も尋ねてみた。
作者名も作品名も忘れてしまっていたので、「ソドムとゴモラ崩壊の後の、ロトと2人の娘の絵」と説明すると、パソコンにキーワードを打ち込んで検索してくれた。
なんと、こちらも地下の、「祈りの聖母」と同じ部屋にあるとのこと。
不吉な予感にかられつつも急いで行ってみると……予想どおり、「最初の一部屋以外は閉鎖しています」。
残念。サッソフェラートは以前も地下にもぐったことがあるが……またか。
では、再会に期待するしかない。
(ちなみに地下に移された理由は、その時代のそのイタリア絵画展示室がメンテ中だかららしい。大英博物館といい、メンテの時期ってかぶるようになっているんだろうか)
特別な目的がなくなったので、ぶらぶらと館内を散歩。
ゴーギャンをながめ、その横にある、ちょっと奥まった部屋に行くと……びっくり。
ずっと探していた、また別の絵が、ここにあった。
しかし、この絵をどこで最初に見たのかは、ぜんぜん記憶になかったのだ。
ガイドブックで見たような気もするけれど載っていないし、画風からすると18世紀後半なのだろうけれど、そのコーナーでは見かけない。
「ロト」のようには説明しづらい絵なので、職員さんにも聞けずにいたけれど、最後にこうして会えるとは、奇跡だ。
ちなみに作者名は、読めなかった。単純なアルファベットだけの名前ではなかったのだ。
どんな絵かというと、引越し直前の真っ白な部屋に、黒い服と白いエプロンをつけてたたずむ、おそらく作者の妻の後ろ姿。
黒い髪を結い上げて、すっかりかたづいた部屋をながめている背中が、どこかさみしそうで、でも何か決意のようなものを感じさせて、力強い。

そのあとは、ナショナル・ギャラリーの別館ともいえるナショナル・ポートレート・ギャラリーへ。
ここは肖像画の美術館になっている。
エリザベス1世やヘンリー8世、ヴィクトリア女王など、王族はもちろんのこと、シェイクスピアやダーウィンの肖像画もここにある(シェイクスピアは版画)。
目新しいところだとブラーもあったりする(アルバム「the best of」のジャケットと同じもの)。
さて、ここで私はとんでもないことをしてしまった。
ショップで、いきなり売り物の鏡を割ってしまったのだ。
店で商品を破壊したのは、生まれて29年、はじめてだ(と思う)。
£20……「払わなきゃダメですよね、これ?」と聞くと、店員さんは「いいえ、いいんですよ」と、やんわり首をふってくれた。
しかしこれで動揺したのか、その後も店内のあちこちでビデオや本の山を崩したり、小物を取り落としたり、すっかり調子を崩してしまった。
そしてお会計のときも、手渡す瞬間に手をすり抜けて、1つ床に落ちていった。
「私って救いようがないですね……」
と、思わず赤面して言うと、さすがに店員さんも笑って、
「今日はちょっとうまくいってないみたいね?
 よい夜を過ごして!」

店員さんがかけてくれた願いは、すぐに天に届いた。
もう夕方4時半。
そろそろ聖ポール大聖堂に向かわないといけない。
最寄りのバス停に行くと、「工事中のためこのバス停は使用しておりません」という表示がかかげられていたので、ストランドまで歩くことにした。
そこで適当なバス停にたどりつき、トラファルガー方向から来るバスを見ていると……、
おや、旧型が走ってくる。
廃止されたはずの旧型がまだ走っていることは先日の記事でも書いたが、今日また見れたのは、ラッキーだなぁ。
と思ったら、そのバスこそ聖ポール大聖堂いき。

oldtype.jpg


この画像は昼に撮っておいたものだけれど、まさか夜になって自分がこれに乗れるなんて……。
ただのミーハーにすぎないのだけれど、なくなるはずのものが、まだあって、それにめぐりあって、ふれることができる。
そんな幸運、めったにないのかもしれない。

この路線で行くと、聖ポール大聖堂の真正面でバスは停まる。

ネルソン提督の追悼礼拝に出て、帰りは、ドームを右に見ながらスクゥエアを渡ったところにあるバス停から。
ホルボーンを経由して、ラッセル・スクゥエアへ。
そこからは歩いて、5分でフラットへ。

真っ暗な部屋。
誰も待っていない部屋。
言葉もなく、花もない。
でも祈りがあり、願いがある。
ここまで来るには決意と偶然と幸運があった。
きっとこれからも、そうだろう。

それが私のイギリス。
私のロンドン。

私の人生だといいな、と思う。
できれば、そこには、言葉と花をつけて、過ごしたい。

at 15:12│Comments(2)TrackBack(0) イギリスから 

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この記事へのコメント

1. Posted by kusuha   2006年01月21日 15:00
こんにちは、ひのきさん。そしてお帰りなさいませ(^^)。私も先日、新婚旅行先のロンドンから無事戻ってまいりました。初めてのヨーロッパ!。そしてツアーではないパック旅行ということで色々と緊張させられたりもしたのですが、最終日には二人とも完璧にロンドンに魅了されておりましたよ。ホテルはストランド・パレスというストランド通りにあるホテルでどこに行くにも歩いていけるくらい便利な場所。トラファルガー広場も何度も通りました。あそこから見えるビッグベンとてもキレイですよね。
大英博物館の「侍から漫画」私も見てきましたよー!鎧と一緒にファイティングポーズをとりながら写真を撮ってる外国人を見てちょっぴり苦笑・・・。旦那は本物のロゼッタストーン(レプリカでなくてよかったです・・・汗)にえらく感激して一緒に何度も写真を撮っておりました。あとナショナルギャラリーの素晴らしい絵の数々!あそこで丸一日余裕で過ごせますね。そこかしこで模写をしている人達を見かけていかに美術館や博物館が人々の生活の中に溶け込んでいるのかを実感させられました。あと入場料が無料だということも驚き。せっかくなので寄付のほうをさせていただきました。
そしてメインの「オペラ座の怪人」!結論から言うと二人とも大満足の舞台でした。劇場が四季ほど大きくはないので2階席からみても十分の迫力!怪人やクリスティーヌの歌声は思わず鳥肌が立つほどでしたし、何より日本で見たときよりも感情表現が豊か。そして確かにエロかったです(笑)。個人的にはロンドンの「オペラ座~」の方が好みかも。あと開演前に大勢の人がワイングラス片手にお酒を飲んでいて、ああこれが雰囲気を味わうって事なんだなあと感じたり。帰りは観劇後の余韻に浸りながらトラファルガー広場を周ってホテルまで歩いて帰りました。もちろんマグカップも買いましたよ!
ひのきさんのブログのおかげで初めてのロンドンを楽しむ事ができました。ありがとうございます。また是非行ってみたいですね。今度はグリニッジの方にも行ってみたいな。
2. Posted by ひのき   2006年01月21日 21:27
kusuhaさん>
こんにちは、kusuhaさん。
お互いに、おかえりなさい、ただいま、ですね(笑)
新婚旅行…(うっとり)素敵な思い出になったようで、何よりです。
ストランド・パレスにお泊りだったんですね。場所、なんとなくわかりますよ。あのあたりの雰囲気、好きです。本当にトラファルガーにもすぐですし、コヴェント・ガーデンにも寄れますよね、ふらりと。
トラファルガーから見るビックベンは特別という感じがします。ネルソンがあっちを向いている気持ちがわかる気がします(笑)
おお、kusuhaさんも「サムライからマンガ」ご覧になったのですね! アイボは元気でしたか?
ロゼッタストーンも、やっぱり特に男の方は感激するようですね。歴史のロマンですものね。
ナショナル・ギャラリーは本当にいいですよね! 何度でも行きたくなってしまいます。テート・ブリテンも素敵なんですよ。ナショナル・ギャラリーほど広くないので、そのぶんゆっくりできます。
出た、「オペ人」! そうなんですよね、ハー・マジェスティーズ、広くないんですよね。私も年末に観た「レ・ミゼ」がとても小さい舞台で、びっくりしました。
よかったでしょう? ロンドンのエロいファントム(笑)オーバーアクションも不思議となじんでいますよね。歌唱力は、やはり日本人をはるかに凌いでいますよね。
そういえば劇場でお酒を飲んだことは、私はないです。眠ってしまいそうで…(笑)アイスは食べたことありますよ。お手軽です。
観劇の残り香の中を歩いて帰るって、素敵ですよね~。「マイ・フェア・レディ」を観た後だったら、I could have danced all night を歌いながらどこまでも歩いてしまいそうです。
あ…マグカップ買われたのですね(笑)大事な思い出になりますね。
お礼を言っていただけるようなことは何もしていませんよ。楽しいご旅行だったようで、私も嬉しいです!
グリニッジもとてもいいところですよ。私が行ったのは2月でしたけれど、春ごろは名前の通り(緑の街、という意味)新緑が美しいそうです。
イギリス再訪のお望み、かなうといいですね。私もまた行きたいです。

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