2006年01月21日

6 Leigh street, London

そういえば、ロンドンで私が住んでいたところについて書いていなかったと思う。

カムデン地区。
ブルームズベリーとユーストン、ホルボーンのまんなかのあたり。

ブルームズベリーは、18世紀なかごろには、作家や芸術家が多く住んでいたらしい。
(18世紀後半になると文壇はチェルシーに移った)
ディケンズが一時くらしていた家も、私のフラットから10分以内のところにあった。
ただ、あまりに普通の家のようで、ついに見つけることはできなかった。

そして、このあたりでイギリス人を見つけることは、さらに難しいことだった。



この地区には移民が多く集まっている。
ほとんどすべての店の店員さんは有色人種。
白人でも、イギリス人じゃないのが普通。
少なくとも、イギリスで生まれたわけではないようだ。

英語がしゃべれなくても、肌の色がブラウンでも、国籍はイギリスということは、よくある。
そのことを、私はここに住んで、あらためて実感した。

だから私も同じ立場。
ヘイスティングスやウェールズでは、初対面の人には、
「旅行者?」
と聞かれてから、「日本人?」とさらに尋ねられるのがあたりまえだったけれど、カムデンでは、
「どこ生まれ?」
というのが、最初の質問。

3軒となりにイタリアンカフェがあった。
店員その1のマダムは、どうやら完全にイタリア人の様子。
ハーブティーを頼むと、
「ミッキはいる?」
と聞かれた。
なんとなく予想はついたけれど、いちおう聞き返してみた。
「ミッキって何?」
「ふつう、イギリス人がお茶と一緒に飲むもの」
「ミルクのこと?」
「そう、ミッキ」
……ハーブティー(レモンバーム)にミッキ……いりません。
ある日、ここでお持ち帰りのピザを待っているあいだ、店員2、3とおしゃべりをしたことがある。
店員2はスペイン人女性。英語はそこそこしゃべれる。
店員3はイラン人男性。彼いわく、
「僕の夢は、いい国、いいガールフレンド、いい金を手に入れること」
彼にとって「いい国」とは、日本なのだそうだ。
途中でフランス人のお客さんが入ってきて、店員2にワインを開けてもらっていた。
イタリアンカフェに、スペイン人、イラン人、日本人、フランス人。

ちょっと先の区画までいくと、アラブ系の住民ばかりが住んでいるところに出る。
チャドル専門店もあるし、イスラム専門食しか売らない店も多い。

そちらとは反対方向に行くと、ちょっとしたホテル街。
キャリーケースを転がす音が、1日じゅう響いている。
ただ、例外の時間帯もある。
そういうときに窓から見下ろすと、馬に乗った警官が2人組で巡回をしている。
馬の歩みの音と、キャリーケースのカタカタという音は、ちょっと似ている。

地面から目をはなしてもうちょっと先に視線をあげると、改装中のセント・パンクラス駅の尖塔が見える。
ユーロスターの乗り入れのための工事中。
完成すれば、もっと多くの他国の人がやって来るのだろう。
住みつく人もいれば、旅を楽しむ人もいるだろう。

ここに住んで1ヶ月ほどしてから知ったことだが、7月に起きたバスのテロは、このフラットから5分以内のところで起きたらしい。
最寄りの駅はラッセル・スクゥエア。
通勤時間帯に起きたテロだったので、いくらこの地区でも、たくさんのイギリス人が通りかかっていたのだろうけれど、もっとも身近に恐怖を感じたのは非イギリス人だったかもしれない。

夜になると、ときどきパブに面した道で口論が起きた。
聞き取れた限りでは、人種のことが引き金になることが多かったようだ。

近くにはロンドン大学のコレッジもあって、留学生もたくさんいた。

ここに住んで、それが不満な人もいる。
どうとも思わず定着している人もいる。
日々わくわくしている人もいる。
悲しくて泣き叫ぶ人もいる。

私は幸運な1人だった。

自他ともに無関心であることで、守られた。
そんな気がしている。

でも無意識に呼吸ができる場所での生活というのは、きっと貴重なもの。
もしまたロンドンに住むことがあったら、またあそこを選びたい。

あのカタカタという歩み。
馬か、旅か、確かめる瞬間。

ちょっとした謎を解くために、窓の外をのぞく機会がある日常。
教会の鐘の音に耳をすますために、目を閉じる時間のある日常。

いつか帰れると思えるから、帰ってこれたのだ。

at 15:21│Comments(0)TrackBack(0)イギリスから 

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