劇場版ガンダム00(小ネタ/パンフレットの正しい買い方)マンガの軌跡

2010年10月13日

劇場版ガンダム00 感想(その2)

一昨日の10月12日、3回目の鑑賞に突撃して来た。
3回目だからか、泣き所が把握できたからか、今回は涙が自然ににじんだ。
観る度に新たな感情や疑問や、胸を打つ場面に出会える。得がたい作品だと思う。

では、そろそろ感想を。
とは言っても、相変わらず理解の全く及んでいない、誤解ばかりの内容になるだろうけれど、それはこの作品の核とリンクするはず!……だといいな。

 


あらすじなどは、もう他のサイトさんで充分に説明されていると思うので、ここでは省かせて頂く。
あえて短い紹介をするとしたら、00の終わりで始まり。などと言う陳腐な文句しか出てこない。

刹那と同じように純粋種のイノベイター、デカルト・シャーマン大尉が新キャラ。
だが彼は刹那とは違って脳量子波を扱えない人間を凡人と見下す傾向にある。それは彼がイノベイターとして モルモット扱いされていた所為でもあるのだろう。
とにかく、刹那とは違って、イノベイターとして見出されるまでの細かい描写も経歴も一切語られず(カードストーリーでは述べられていたのだろうか?)、終始どこか厭世的な態度のまま滅んでゆく。
彼らと対峙したのは、物質や生命を取り込む異性体エルス。
エルスはその正体が全く明かされない内に地球へと接近する。

……と、結局あらすじめいたことを書いてしまったが、結論も述べてしまうと、エルスの目的は地球の侵略ではなかった。
母星が死に瀕していたので、生存の可能性と手段を求めて地球へと接近し、向かって来る軍隊やMSの情報と知識を取り込んでは同化しようとして惑わしてしまった。
そんな事情を知るはずもない一般の人間は恐怖に慄く。イノベイターである刹那も、エルスの真意を掴めずに煩悶し、一度は対話を試みる。が、エルスの膨大な情報量によって脳に損失を受け昏睡状態になる。
そこで彼の肩を押したのが、これまで関わってきたすべての仲間たちだった。
グラハムや連邦軍の力を借りながら、ついに刹那はエルスの中核へ辿り着き、その記憶と思いを受け止めて、エルスの願いを叶えるべく対話を始めた。

と言うのが私が3回ほど観た限りでの解釈なのだが、合っているのだろうか。あまり自信はないが、とりあえずこういう事にしておく。
さて、エルスの行動をデカルト・シャーマンは「叫び」だと気づいていた。
何を叫んでいるのかについては言明しなかったが、刹那がそれを理解するには、彼のそれまでの歩みや関わりのすべてを通さなければならなかったのだろう。
一瞬あの世に行ってしまったかと思ったが(もしかして本当に逝ったのかもしれないが)、一期からずっと課題として問われていた「存在すること」「生きること」をクリアするために全力で舞い戻って来てくれた。

そしてティエリアと共にエルスの真意を知るには、まだいくつかのステップがあった。
まず、余計なものを取り払うこと。これはエルスの中核へ向かう途上、またもやエルスの情報量に翻弄されそうになる刹那をティエリアがバックアップし、純粋にエルスの思いを探る必要があったからだ。
次に、何故、エルスが生き伸びようとするために、争いが起きてしまったかを考えること。ここでマリナの生き方や信念が刹那を目覚めさせることになったのではないだろうか。
最後に、自分は何を選ぶかということ。損得でも善悪でもなく、自分が本当に求める真実のために、自由でシンプルになること。

エルスの叫びを理解してから、ティエリアと刹那は語り合う。
何故、人はただ生きていきたいだけなのに、争い、傷つけあい、誤解し、偏見を持ち、すれ違ってしまうのか。
それは知性のせいだとティエリアは言う。だが、実際は、知性の中にある想像力があってこそ、人は人を知りたいと願う。それが歩み寄りの第一歩だろう。
エルスは知性を持つ生命体だったが、突如として彼らとの接触を突き付けられた側である人間は、エルスの情報や知識を得ようと躍起になった。その叫びに耳を傾けることを本能的に恐れたとも言える。

知性というのは、本来、生命に備わる輝きのひとつであると私は思う。それをもって、思考し、工夫し、進み、蓄積し、未来を築く力になる。
この情報化社会では知識ばかりが先行して、知性に至らないケースがとても多い気がしてならない。それは単に私のスペックがあまりに低いが故のひがみかもしれない。それでも、私は知識だけで満足したくはない。その場その場に応じて、必要なのは知識か、情報か、知性か、見極めたい。そして知性というのは、最終的に品性に至らなければならない。

ということを考えると、最後に刹那と老いたマリナが再会したのは、互いのプライドを何よりも愛しんだからこそではないだろうか。価値観はほぼ同じだったのに、方法は全く異なっていた二人が、長い時間をかけて今へりくだり合う。そこに品格を感じた。彼らが無意識に望んでいたであろう未来へと共に着地できたことは、光そのものだとも思った。

世界はこんなにも簡単だと、刹那は言った。たったそれだけの事で分かり合えるのだと、同じようにマリナも呟いた。果たして、何が簡単で、それだけの事とは何を指しているのか。観る度に自問自答するのだが、結局、自分の無知を受け入れて、未知の未来を恐れずに、生まれたばかりのような気持ちで存在すること。矛盾した世界だけれど、難しくしているのは、他ならぬ自分自身であること。それを知って、忘れて、思い出して、忘れて、気づいて、という繰り返しの中で生きていくこと。
そうしている内に、すれ違い続けても、きっと再会は果たされる。そして、触れ合えなかった時間を嘆くのではなく、それぞれの道の上でいつか相手の心を自分の一部のように留めていたのならば、その瞬間は喜びで満ちる。
理解されることを望んだだけではなく、理解することにも飢えて叫んでいた二人なのだから。


とりあえず、こんなところだろうか。
だが、まだまだ書きたいことがてんこ盛りなので、もう少しちょこちょこ綴って行くと思う。
各キャラクターの素晴らしさについても語りたい。これでもかと言うほど萌えの悲鳴を上げ続けたい。
 

drecom_neverworld at 21:58│Comments(0)TrackBack(0) ガンダム00 

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