アニメ

2010年11月14日

「ひぐらしのなく頃に」とグリム童話

勢いで「閉ざされた世界」と「クオリア」のCDを買ってしまった。
映画館では大して気にしていなかったのに、こうやって改めて聞くとあの場面が蘇って来るから不思議だ。特に「閉ざされた世界」はライルの黒縁眼鏡ソングだなあとか……。

と、本当にまだまだ劇場版00については語りたい事が山のようにある。DVDも早々と予約をぽちっとしてしまったが、未だもって大スクリーンイメージ現役だ。
が、萌えや関心はエルスに勝るとも劣らない膨大な情報とイメージを伴って日々私の脳内に侵入し、情動を揺り動かす。それらについても順次書き留めて行きたいのだ。 

というわけで、今日は「ひぐらしのなく頃に」のこと。
先週、「解」まで観終えた。理解できたかどうかはともかく、最終回まで観た。
ああ、セリフを書き留めていなければ、50話も何のそののペースで行けるものなのね……とちょっと遠い目になりつつ、感想は一言で述べれば「おもしろかった」。
それほど凝ったつくりではないと思うのだが、勢いがあるというか、ある意味ベタな設定とテーマをうまく料理して深みのある味わいを抽出したという印象が強い。 

ちょうどこの鑑賞時期と前後して、野村ヒロシ著『グリム童話 子どもに聞かせてよいか?』を読んでいた。
そうしたらあら不思議。「ひぐらし」を思わせる内容がちょこちょこと見受けられる。
もしや「ひぐらし」は現代のグリム童話なのか?
という埒も明かない考察をひとつ。

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drecom_neverworld at 17:19|PermalinkComments(1)

2010年11月04日

閉ざされない世界

まだまだ頭の中が00で一杯ってどういうことなんだろう。
それでも新しい萌えや興味が流入してくるのだから困りもの。なまじ知性があるから。それが嘘となり誤解となり争いを生む……(うろ覚え)
まあ、少なくとも、劇場版00を忘れたくなくて自分の関心を逸らそうとの自己欺瞞があったり、00に勝る萌えはないとかの偏見に近い読み誤りはありそうだ。
それではいかん。萌えの母星へ行く。いいも悪いもない。

あ、でも劇場版00感想はちまちま書いていきます。あいにく近場の劇場でも上映が終了してしまったし(あと1回ぐらい観たかった)、計4回分よりも尚多くのイメージを残していってくれたので。大好きなものへの感情や思考って本当に尽きないものなんだなあ。
00は終わったけれど、私の中の祭はまだ当分お開きになりそうにない。とりあえずクリスマスのDVD発売を楽しみにしていよう。

さて、最近の萌え……とか、関心。
まず「ガラスの仮面」。前回の記事以降もヘビロテ真っ最中。下手したら毎日読んでるんじゃないだろうか。日刊ガラかめ。恐ろしい子!
ワンナイトクルーズの続きが気になるから、下手したら花ゆめ本誌も買ってしまうかもしれない。

あと、ことぶきつかさの「デイ・アフター・トゥモロー -カイ・シデンのメモリーより-」を読んでいる。やはりカイは良い。あの皮肉なところだけを抽出するとライルになる気がしなくもない。が、ライルはあそこまで賢くはないだろう。だから可愛いんだけれども。
ライルとアニューのラブストーリーがカイとミハルへのオマージュだとかはこの際聞かなかったことにして、この作品でミハルのことをもっと語ってくれないかな。語らないところがカイらしいとも思うし、ああ、妄想の翼がまた広がりそう。ところでカイの眉毛の無さは先天性なのか?

それから、ここ3日ほど「ひぐらしのなく頃に」のTVアニメ版を観ている。

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drecom_neverworld at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)